平成の開業失敗談

現在、老齢年金請求書を作成している年齢です。平成になり、結婚して子供が出来、開業して家を建てるという人生の半分ぐらいのイベントを経験しました。

初期は固定電話とFAXの時代で、PCはスタンドアローンでワ-プロと論文の統計処理ぐらい、医院レベルでは独自OSのレセコンが稼動していました。

平成7年にクリニックビルの1室で落下傘開業しましたが、最初から失敗続きでした。当初予定の所は他のテナントとの裏契約が発覚し、家主への不信感から手付金を放棄し解約しました。

1年ほど遅れて別のビルでの開業となりましたが、家主との口約束が履行されず10年後には退去する決意をしましたが、退去時の契約が不利な契約でしたので10年目の契約更新時に通常の契約に改め、翌年退去することになりました。

開業時のレセコンはIBMのPCでウインドウズ3.1と独自OSワープのデュアルOSのワープ上で動いていました。しかし開発元と組んでいる医師会の保険請求への理解があまく、こちらのベンダーへ要望しても反応が鈍く、これ以上無償で検証は出来ないとして解約、PCのみは買取りとしました。

次に日立のレセコンをこのPCにインストール時に、ウインドウズ95にアップグレード、頭書き取り出しソフト添付を条件としました。

当初採用した看護師の1人は研修中に妊娠発覚し体調不安定で退職、もう1人は母親が倒れ介護のため1カ月せずに退職と散々でした。

これらの失敗から学ぶことも多く、テナント退去のモチベーションもあり11年目に移転しました。

丁度カルテを電子化し、画像や検査のデータベースと一元化し、院内LANを整備し、院外処方とする時期でもあり、機器設備の減価償却も進んでいました。

年目の法人化時に契約した生命保険の解約返戻率もMAXで、一時収入を利益とすることなく移転費用に当てました。

この間税理士も2回変更、1回目はパソコン会計導入のため、2回目は節税・相続対応のためですが、その度に会計・税制について学びました。

初代開設のためか、振り返ると無謀で恐ろしいことをしていましたが、それなりに面白い平成時代でした。

2018年11月01日