患者相の変化から観た世相変化

1995年前に西鉄福岡駅から急行で3駅目の、駅近くのビルで開業した。

当時は銀行やゼネコン、メーカー等の社宅が多い所で人口構成も若く、経済的には比較的余裕のある土地柄だった。

丁度ウインドウズ95が出たころで、国保と社保家族の自己負担は3割であったが、社保本人は97年2割負担になるまで1割負担だった。

その後、バブルの崩壊で銀行員だった人が関連企業に異動したり、社宅が廃止になり転居する人など企業の変化を肌で感じた。その社宅跡地は、ほとんどマンションに変わった。

社保本人負担も03年から3割となったが、その頃から生保の患者さんが増えたように思う、今では数%になると思う。又、駅前のNOVAが無くなり欧米人講師がいなくなった代わりに、留学生を中心とした中国人の患者さんを診るようになった。

日本人の患者さんでは治療費のことを気にしたり、クレームを言う人も現れてきた。

数は少ないが中国人の患者さんでは、今のところそういった傾向は観られない。

開業時はDOSベースのレセコンを兼ねたIBMのパソコン(CPU100MHz、HDD750MBで数十万)が1台だったが、現在は10台以上が2画面で稼動している。

最近は医療器械屋さんが余り来なくなったが、鎖骨ブレースを注文すると2、3日掛かると言うので、アスクルに注文したら午後に注文して翌朝配送された。

先日、高校生の息子の課題で持針器の写真を検索したらAmazonで販売していた。(アマゾン恐るべし)

以前は、塩素系漂白剤を検索すると、この商品を購入された方はこんな物も購入されていますといって、自殺マニュアル、トイレの塩酸系洗浄剤、ビニール袋が勧められた。

患者さんでは、高校生の時から診ていた娘が院を卒業し、就職して結婚までするようになった。

この娘たちが子供を連れて来ると孫のような気がするのであろうか。

2005年10月01日